兎に角

溜め込まないでシンプルに♪ リウマチからの気づき

 平成9年〜平成22年


今年(平成23年)3月3日に私は左膝の関節を人工関節に置換する手術を受けました
リウマチで膝の関節が破壊され固まってしまったからです
でも私が自分がリウマチだと理解したのは昨年の7月のこと・・
どうやら私は13年ほどの間自分がリウマチだと気づかずに生きてきたらしい・・・・

いくら私がぼーっとした人間だとしてもリウマチに気がつかないなんて
「ありえないでしょー」と誰でも思うでしょー

その13年をざっくりと整理してみることにします
(”ざっくり”だよ”じっくり”ではないよ)

《平成9年前半》
私が体にいろいろな不調を感じ始めたのは今から14、5年前になります
最初に膝が痛くなった、が、そのころ引っ越しをすることになり
膝をかばいながら、かなりがんばったのです
すると肩が痛くなり腕が上がらなくなり・・
近くの整形外科で診てもらったら
膝は”変形性膝関節症”、肩は”四十肩”と診断されました
かなり必死に我慢しながらやり過ごしましたが
そのうち左手の指の関節が何本か腫れて痛くなり
ものをつかむのも大変になったのです

私にはたいした知識はありませんでしたが、関節が腫れるイコールリウマチぐらいのことは知ってました
自分でも不安になって今度は別の整形外科に行きました
「リウマチではないでしょうか?」 
「違う違う、これは筋が腫れてるんだよ、筋ね。お風呂でねこうしてしっかりマッサージしなさい」
かなり年配の医者だったけど、わたしはホッとしました
「良かったリウマチじゃないんだ、筋ね、スジスジ、良かった」
「心配だったら血液検査もするよ」とも言われたが私は
「いいです、いいです」と言ってそそくさと帰ったのでした 

当時私は週1回ヨガサークルに通っており
いくつかの本も読んだりしていました
”自分の体は自分で治す”
そう!私は自分でなんとかしようと決意したのです!
長女が高1、次女が小4 のときのことです

 《平成9年後半》
そう!自分でなんとかしようと決意したのです!
長女が高1、次女が小4 のときのことです

もちろん毎日ヨガのポーズを自宅でも実践しましたし
近くの公民館に太極拳にも通いました

それでもなかなかすっきりしない、どころか
もっといろんな症状がでてきたのです
顎が開きづらい
股関節に違和感があるetc. 

その頃書店で買った健康雑誌
骨盤矯正バンドと体を矯正するゴムベルトが紹介されていました
私は早速購入

腰や体にゴムをぐるぐる巻き、あれやこれやとやってみる毎日が続き・・

雑誌には開きにくい顎や頭痛をすっきりさせる方法も載っていました
そして、ある日私はそれを実践したのです

”頭にゴムを巻いて顎をあける”
よーしやるぞー
私は頭にぐるぐるっと巻いたゴムの力に逆らいながら思い切って大きく口を開けました・・
ガリガリッ”と鈍い音が・・

《平成9年〜平成10年》
私は頭にぐるぐるっと巻いたゴムの力に逆らいながら思い切って大きく口を開けました・・
ガリガリッ”と鈍い音が・・

え??いいの??こんな音しちゃったけど・・・
妙な不安感に襲われながら、ゴムをほどいてそーっと口を開けてみました・・
ん??開きやすい気がするけど・・どうなんだろう??
あまりいい気分ではない
いいの?ただただ不安感でいっぱいになっていきました・・

思えばこれが、私の今に続く”迷路”の入り口だったのかもしれない

翌日から私はそれまでとは全く違う体の異常を体験して行くことになるのです
細かいことは複雑で自分でもうまく思い出せないので
そのあたりはいつか”じっくり”と整理してみたいと思います

”ざっくり”言えば
まず翌日から まともに歩く ということが難しくなったのです
足は右、左、右、左・・と自然にでていたはず
それがなんだか自然に出ないのだ!
自分で右、左、右、左・・と意識しながら歩く時期がしばらく続きました

それだけではない
歩くと腰、背中、肩とゾロゾロと肉が動いているようで
じっとしていられないような不気味な痛みに始終つきまとわれることになる
しばらくこの状態が続きました

それまでの膝、肩の痛みや指の関節の腫れ、全身的なこわばりに
この症状が加わったわけですが
はっきり言ってそれまでの痛みやこわばりよりももっと深刻に思えました
私、とんでもないことになっちゃったんじゃないかいな・・・

ますます病院は遠のきました
この状態をどう説明していいのかわからないのです

それからどれくらいたってからだろう・・

「・・もしかして私って・・体が逆に回転しだしてるの?」
という自分でも信じられないような体の変化を感じはじめていました

《平成10年〜平成15年》

「・・もしかして私って・・体が逆に回転しだしてるの?」
という自分でも信じられないような体の変化を感じはじめていました

それからは不思議なこと、苦痛、苦悩のラッシュでしたが、詳しいことはいずれ”じっくり”と整理したいと思います

最初の3年間が一番つらい時期でした・・
あまりにもつらく、今思い出してもその時間がが長いのだか短いのかもわからない・・
”逆回転”は止めたくても止められず、呼吸一つにもその分の”逆回転”がおこる
自分の体の状態をうまく伝えられない、言っても理解してもらえない
・・このままでいいのか、悪いのか、それもわからない・・・すべてがつらかった

ただこの時期のある時
自分のやってることを「信じよう!このまま突き進もう!」
と確信を持てること体験したのです。

そのときから自分の中に強い”思い”を持つことになりました。

そして嬉しいことに、体の逆回転はつらいものでしたが、少しずつ逆回転にはそれなりの成果があることもわかってきました
これをずっとつきつめれば、とても明るい世界が広がるんじゃなかろうか・・
そんな風に思えてきたのです

もちろん、病院へ足を運ぶことはありませんでした
この頃には自分のやっていることを誰にも邪魔をされたくない
そんな風な心境でした
夫の会社からの配偶者検診のお知らせも封を開けることなく捨ててました

体の不調を自分ででなんとかしようと始めたことでしたが
"体を根本的に自分で矯正している"
"ねじれ、ゆがみを治しているんだ"
かなり歪んでいたからこんなにつらいんだな、そう思っていたのです

もちろん自信も確信もなく
ただただ自分を信じよう、なんて思ってましたが
いつも”迷路”の中にいるようでした

そしてつらい最初の3年が終わる頃、少しずつですが体は動きやすくなり
子供の学校のPTAでも積極的に活動できたり、外出して友人とランチを楽しむ余裕も出てきました
近くに自分でビデオを見ながら勉強するパソコンスクールがあったので
そこに通いワードやエクセルを(なんとか)使えるようになったのもこの頃です

その状態で2年ほど経過

なんだかんだの事情で家を買うことになり
TMニュータウンから現在の品川区に引っ越すことになりました
長女が大4、次女が高1になっていました

《平成15年〜平成22年》
TMニュータウンから現在の品川区に引っ越すことになりました
長女が大4、次女が高1になっていました

体の調子は良かった、と思います
もちろん体は常に逆に回転していたけど、特に苦痛はありませんでした

新しいマンションは交通の便もよく気持ちのいい住み心地でした
つらい時期も終わり私にも少し余裕が出てきたんでしょう
子供も大きくなったし、近所の付き合いもないし、「暇だな〜」ということで
私はネットで職を探し、パートで仕事をすることにしました
結婚前はOL生活を満喫していた私(かなり昔の話)・・
その頃とは企業の様子はずいぶん変わっていましたが
社会に再び出て働くということはそれなりにとても新鮮で楽しい時間でした

このまま、体が”逆に回りきる”まで、そう、そのまま”いける”と思っていた・・
・・がパートOLは3年ももたなかった
私はまた歩くことが困難になっていったのです

そして今度はどんどんひどくなってそれから2年後ネットで車椅子を購入しました

そんな状態だったのに
もう誰の目にも”おかしい”とわかる状態だったのに
私はガンとして病院へは行かなかった

「まだ終わっていない」
「まだ道半ばだよ。めざすところには行ってない。」
「ここまでがんばって来たんじゃん、ジャマはされたくない。」
「逆回転が終われば絶対また歩けるから」

私の”思い”はたぶん人には異常に見えたことでしょう

そんな”異常な”生活でしたが私は妙に明るく楽しく(?)暮らしてました

不思議なことに(歩けないのに)気持ちも体もどんどん軽くなっていってたのです

「もしかして、いよいよ(逆回転も)最後の方かも。最後ぐらい病院に行ってもいいかも」

そんな風に感じ始めてたとき、ひょんなことがきっかけで
病院へ行くことになったわけです

”自分で治す”と決心してから13年が経っていました

その間歯科以外私が病院、医院に行ったことは一度も無いのです

不思議なことに風邪をひくことも無かったし・・

家族がインフルエンザにかかってもうつらなかったんです・・

薬だってバファリン以外には何も飲んでいないのです

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

私をリウマチと診断してくれた先生は
ただただ私を診て驚いていた
「ここまでになるまで・・どうして・・・痛かったでしょう!?」

私は膝だけでなく全身が固まったまま何も言えませんでした

ーー迷路の中にいたんです
ーー今も私は迷路の中にいます
ーーただ、少し出口が見えてるんです